軍艦島
かって炭鉱業で栄華を誇った島
ジャンル:景観
Jul 23, 2021

↑軍艦島。
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軍艦島は長崎港から南西に18kmの場所にある島。住所は長崎市高島町。
島のカタチが軍艦に似ていることから軍艦島と呼ばれているが、正式名称は端島(はしま)という。
明治から昭和にかけて海底炭鉱として栄え、最盛期の1960年には約5300人が長さ480m、周囲にしてわずか1.2kmの小さな島に住んでいた。
人口密度は当時の東京都の約9倍。これは世界一の人口密度で今現在も破られてはいない。
また日本初の鉄筋コンクリートの高層住宅が建てられ、島内には学校や病院はもちろん、映画館、パチンコなどもあったそう。
1972年に採掘が終了し、2年後の1974年に閉山。現在は無人島となっている。
軍艦島クルーズには5日前にネットで予約した。軍艦島クルーズの会社はいくつかあるのだけれど、3連休だった為かいくつかは既に予約で一杯。
シーマン商会という会社がまだギリギリ予約可能だったのでソチラで予約。軍艦島クルーズってこんなにも人気なんですね。ちょっとビックリ。
シーマン商会のさるくⅡ号は他社のクルーズ船より小さめ。でも小回りが効くのと、展望デッキが広めなのは良いと思った。
船長さんは元軍艦島の島民だそうです。
軍艦島で上陸出来るエリアってかなり限られているらしいけど、船は島の周りをグルっと1周してくれたのも良かった。
どちらかというと上陸出来るエリアの反対側の方が、建物が密集していて見応えあります。
それで肝心の軍艦島上陸だけど、台風が近づいている影響で波が高くて無理とのこと。
間近で見て初めてわかること、感じることもあると思うので残念!。
代わりに近くの高島に上陸しました。こちらには岩崎彌太郎の像がありました。この人は軍艦島の炭鉱業で財を成し三菱財閥の基盤を作った人物です。
上陸できなかったのは残念だけど、船上からでも自分の目で軍艦島を見れたことは良かったと思う。

↑シーマン商会のさるくⅡ号で向かいます。

↑炭鉱石と飴、うちわをくれました。

↑長崎港から約40分ほどで軍艦島に到着!。

↑左側の建物は小中学校。1~3階が小学校、4、6階が中学校。5階は音楽室や講堂だったそう。

↑左側の建物は65号棟。右の低い建物は病院と隔離病棟。

↑半時計廻りに移動中。

↑洪水に備えて高い防波堤が設けられています。

↑建物はみっちりと隙間なく建てられている。

↑左上の一段高い場所に建っているのは管理社員用の3号棟。屋上は若者達のデートスポットだったそう。

↑日本初の鉄筋コンクリートの30号棟。

↑軍艦島全景。

↑高島には岩崎彌太郎の像がありました。軍艦島の炭鉱業で財を成し、三菱財閥の基盤を作った人物です。
基本情報:
施設名 |
軍艦島
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住所 |
長崎県長崎市高島町
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駐車場 |
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備考 |
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