吉野ヶ里歴史公園


弥生時代の遺跡を再現した場所

ジャンル:景観

Mar 12, 2022
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↑吉野ヶ里歴史公園。

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吉野ヶ里歴史公園は佐賀県神埼郡吉野ヶ里町にある遺跡。

紀元前5世紀から紀元後3世紀までの弥生時代の遺跡で、わが国では最大規模。広大な敷地には古代の住居が再現されて、出土品も展示されている。ちなみにこの時代は一箇所に定住して稲作が始まった頃です。


東口の広い駐車場(1回310円)に車を停め、460円の入園チケットを購入して中へ。入口の時点で何か、メチャ広そうな予感がビンビンに伝わってくるw。

見所は南内郭、北内郭、北墳丘墓、展示室あたりかな。これなら片道約1km ぐらい。

南内郭、北内郭には竪穴式住居、物見櫓などが再現されている。特に北内郭には大きな祭殿があった事に驚いた。中では国の政を決めたり、巫女の託宣の場として使われたらしい。

北墳丘墓は王や司祭など身分の高い人のお墓。亡くなった人は甕棺(かめかん)に入れられて埋葬されていたらしいのだが、甕棺の大きさや分布、埋葬品などから王やそれに近い人達が埋葬されていたとわかるらしい。な~る。

この時代って稲を石で刈っていたぐらいだから、文化レベルもその程度だと思っていた。でも王がいて、巫女がいて、甕棺という大きな壺を作る技術があって、青銅器を鋳造する技術もあったんだね。

ちなみに北墳丘墓で出土した14基のうち8基には青銅の剣が副葬されていたそう。やはり統治には剣という絶対武力が大事だったんだろうか。


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↑マスコットキャラクターのひみか。

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↑竪穴建物。地面を掘り下げた半地下式の建物

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↑物見櫓(ものみやぐら)。

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↑主祭殿(しゅさいでん)。吉野ヶ里最大規模の高床建物

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↑指導者たちが重要な事柄を話し合ったのだそう。

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↑最高司祭者が祖先の霊からお告げを授かる儀式も行っていた。

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↑北墳丘墓(きたふんきゅうぼ)。歴代の王達が埋葬された。

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↑亡くなった人は甕棺に入れられて埋葬されたらしい。

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↑銅剣。※レプリカ

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↑稲を刈る石ナイフ。

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↑出土した甕棺。こんな大きな壺を作る技術があったんだねぇ。


基本情報:

施設名 吉野ヶ里歴史公園
住所 佐賀県神埼郡吉野ヶ里町田手1843
駐車場 有り
備考


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